2012年2月6日月曜日

洋裁を料理のように。

僕が洋裁のための布地を扱う事業をはじめるというと、???という顔をされる。

そして、『今、洋裁をするひとは増えている?減っている?』(減ってるでしょ?というニュアンスで)と尋ねられる。

僕は決まってこう答える。『まあ、減ってるちゃ、減ってるけど。。。』

変な日本語だけど、洋裁をするひとは「減りながら、増えていく」と思う。

僕たち「団塊ジュニア」の実家には普通に「ミシン」があった。
こどもに着せる服のいくつかはおかあさんが作るものだった。
経済的に服をつくる「必要」があった。それが普通だった。

それがいつからか「買ってきた方が安い」になって重いミシンは目に入らないところに仕舞われた。

状況はそこからさらに「絶対買ってきた方が安い」にシフトし、完全に定着した。
実際「安かろう・悪かろう」ではなくなったことも大きい。
これはひとりの生活者として、非常にありがたく便利だと、ときに感心することもある。

一方で、いわゆるハイブランドも一生ふれることはない高嶺の花ではなくなった。
経済的に(不況かどうかは別として)豊かになった。

この現象を「食」に置き換えてみれば、ファスト・ファッションはお店のお総菜であり、ハイブランドは高級レストランになるだろう。
で、この場合、手作り服=洋裁は家庭でつくる料理にあたる。

今、洋裁をする人のベースは圧倒的に団塊世代がその多くを占めるから、その人々が高齢化していけば、マーケットとしての洋裁人口は減るだろう。

しかし、マズローの欲求階層説にあてはめれば、人間の高度な欲求は「必要」を超えた部分にシフトしていくから、たとえば。。。

そばが好きな人が「スーパーで売ってる安いそば」でお腹いっぱいになって満足していたものが、「銘店のそば」を食べに行き、そして取り寄せる。さらに、最後には「そば粉から自分で打ち」はじめ、「そばの栽培」まで行き着くこともある。

家庭菜園で育てる野菜は「食糧」確保のためではなく、「趣味・娯楽」活動の結果である。

つまり、これから洋裁は「衣食住の根源的欲求」を満たす必要から解き放たれて、「自己実現的欲求」を満たす創造的活動のひとつとして、増えていく。のではないだろうかと思う。

ただ、その洋裁を取り巻く環境は団塊世代をターゲットにしたまま、すこし特別で敷居が高いまま。である。最近は「いいな」と思うものが少しずつあるけど、まだまだ少ないし、なぜかハイソで気軽さがない。

だから僕は、家庭でつくる1皿の料理ように気軽に楽しく、世界に1着を自分でつくる人のための環境をつくりたい。





















ウッシー牛島作・ミシンを置くためのテーブル。

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