パリ→マドリッド→バルセロナ→エクス・アン・プロヴァンス→リヨン→パリとぐるりの「布の旅」から無事帰還。
いつもなら3kgはウェイトを増やして帰ってくるところがハードな行程でそれは避けられた。
最初は何が書いてあるのかさっぱりだったメニューもさすがに今回は「選ぶこと」ができるようになったことも大きい(笑)
ただ、どんなにやばそうなカフェで注文しても「すべらないメニュー」がステーキである。
まさしく鉄板。(書く気はなかったが手が勝手にキーボードを押した)
よく、「草履のような...」という形容詞が使われるが、実はそんなことはない。
強いて言えば「強力なうま味がつまった」肉である。
逆に日本の霜降り肉の脂はたしかにとろけて脳天直撃のうまさだが、ここ10年はうまいと思ったことがない。
ほどよい堅さの肉をよくかむとうま味が出てくる。脂は少ないから胃にもたれることもない。
だから、ツアー中は日に1・2度はステーキを食べた。
かように肉食において西欧に「一日の長がある」ように布地において、彼の地の奥深さはすさまじい。畏れすら感じる。
まず布地の専門店に人が途切れなくやってくる。
セールをやっていることもあり、お安くはなっているが、要らないものはお安くなっていても要らないはず。
端布の山に体を突っ込んでいる人、高級なシルクを吟味する人。。。
布地が生活者に近い。いや布地が生活の一部になっている。
自分でつくれるものは自分でつくる。自分のセンスを信じている。
この感覚は今後日本でも確実に一つの潮流になると思う。
20世紀型の「ストックする文化」から21世紀は「フローする文化」へ。
大きな家に着れないほどの服を毎シーズン買ってため込むライフスタイルに憧れるひとは少なくなるだろうと思う。(僕も持ち物だけは身軽になった。身体については。。。だが)
ファスト・ファッションが「利便性」という大きな存在価値によって、人々の生活に定着する一方、「贅沢で・憧れる・憧れられる1着」はメゾンやハイ・ブランドの1着ではなく、【自分でつくった1着】になるのではないだろうか?
かあちゃんがつくったきんぴらレンコンにはどんな料亭の味も敵わぬように。
そんな僕の「予想」はこの旅を経て「確信」に変わった。