ようやく布地屋さんの雰囲気が出てきました。
祝・初入荷です。
まだまだ棚には「かなり余裕がある」状態。
春までに「あとすこし余裕がある」状態にしたいところです。
市場に出回らない希少な布から問屋さんの商品台帳に載っていない布(その場で商品コードを起こしてた)まで、足で仕入れた布たち。
ほんとうに「じわり・じわり」進んでいる。
2012年2月18日土曜日
2012年2月17日金曜日
布を切るための机
これがないと始まらない、始められない。
ヤツが来た。
ウッシー牛島が連れてきた。
親子で連れてきてくれた。(お父さん重いのにすいません)
が、しかし。。。
(ヨメ:「段差がある〜」)
(ウッシー:「・・・。」)
いざ、完成に向けて最終調整に入ったところで色々「もっと、こうしたい、ああしたい」が錯綜。
これがウッシーの職人魂を刺激してしまった。
『持って帰っていいですか。。。』(高倉健みたいな感じで)
不器用な男です、ウッシー。
そして昨日。。。
ウッシー牛島・作「布を切るための机」が完成。
うっすら見える「筋」ははさみをすべらせるためのもの。浅くても深くてもダメなそうな(ヨメ談)0.4mmぐらい、微妙。
10cm間隔で入れることで、モノさしをあてなくても長さを計れて、そのまま切れる仕様になっています。
まさに「魂は細部に宿る」。
ヤツが来た。
ウッシー牛島が連れてきた。
親子で連れてきてくれた。(お父さん重いのにすいません)
が、しかし。。。
(ヨメ:「段差がある〜」)
(ウッシー:「・・・。」)
いざ、完成に向けて最終調整に入ったところで色々「もっと、こうしたい、ああしたい」が錯綜。
これがウッシーの職人魂を刺激してしまった。
『持って帰っていいですか。。。』(高倉健みたいな感じで)
不器用な男です、ウッシー。
そして昨日。。。
ウッシー牛島・作「布を切るための机」が完成。
うっすら見える「筋」ははさみをすべらせるためのもの。浅くても深くてもダメなそうな(ヨメ談)0.4mmぐらい、微妙。
10cm間隔で入れることで、モノさしをあてなくても長さを計れて、そのまま切れる仕様になっています。
まさに「魂は細部に宿る」。
2012年2月6日月曜日
洋裁を料理のように。
僕が洋裁のための布地を扱う事業をはじめるというと、???という顔をされる。
そして、『今、洋裁をするひとは増えている?減っている?』(減ってるでしょ?というニュアンスで)と尋ねられる。
僕は決まってこう答える。『まあ、減ってるちゃ、減ってるけど。。。』
変な日本語だけど、洋裁をするひとは「減りながら、増えていく」と思う。
僕たち「団塊ジュニア」の実家には普通に「ミシン」があった。
こどもに着せる服のいくつかはおかあさんが作るものだった。
経済的に服をつくる「必要」があった。それが普通だった。
それがいつからか「買ってきた方が安い」になって重いミシンは目に入らないところに仕舞われた。
状況はそこからさらに「絶対買ってきた方が安い」にシフトし、完全に定着した。
実際「安かろう・悪かろう」ではなくなったことも大きい。
これはひとりの生活者として、非常にありがたく便利だと、ときに感心することもある。
一方で、いわゆるハイブランドも一生ふれることはない高嶺の花ではなくなった。
経済的に(不況かどうかは別として)豊かになった。
この現象を「食」に置き換えてみれば、ファスト・ファッションはお店のお総菜であり、ハイブランドは高級レストランになるだろう。
で、この場合、手作り服=洋裁は家庭でつくる料理にあたる。
今、洋裁をする人のベースは圧倒的に団塊世代がその多くを占めるから、その人々が高齢化していけば、マーケットとしての洋裁人口は減るだろう。
しかし、マズローの欲求階層説にあてはめれば、人間の高度な欲求は「必要」を超えた部分にシフトしていくから、たとえば。。。
そばが好きな人が「スーパーで売ってる安いそば」でお腹いっぱいになって満足していたものが、「銘店のそば」を食べに行き、そして取り寄せる。さらに、最後には「そば粉から自分で打ち」はじめ、「そばの栽培」まで行き着くこともある。
家庭菜園で育てる野菜は「食糧」確保のためではなく、「趣味・娯楽」活動の結果である。
つまり、これから洋裁は「衣食住の根源的欲求」を満たす必要から解き放たれて、「自己実現的欲求」を満たす創造的活動のひとつとして、増えていく。のではないだろうかと思う。
ただ、その洋裁を取り巻く環境は団塊世代をターゲットにしたまま、すこし特別で敷居が高いまま。である。最近は「いいな」と思うものが少しずつあるけど、まだまだ少ないし、なぜかハイソで気軽さがない。
だから僕は、家庭でつくる1皿の料理ように気軽に楽しく、世界に1着を自分でつくる人のための環境をつくりたい。
ウッシー牛島作・ミシンを置くためのテーブル。
そして、『今、洋裁をするひとは増えている?減っている?』(減ってるでしょ?というニュアンスで)と尋ねられる。
僕は決まってこう答える。『まあ、減ってるちゃ、減ってるけど。。。』
変な日本語だけど、洋裁をするひとは「減りながら、増えていく」と思う。
僕たち「団塊ジュニア」の実家には普通に「ミシン」があった。
こどもに着せる服のいくつかはおかあさんが作るものだった。
経済的に服をつくる「必要」があった。それが普通だった。
それがいつからか「買ってきた方が安い」になって重いミシンは目に入らないところに仕舞われた。
状況はそこからさらに「絶対買ってきた方が安い」にシフトし、完全に定着した。
実際「安かろう・悪かろう」ではなくなったことも大きい。
これはひとりの生活者として、非常にありがたく便利だと、ときに感心することもある。
一方で、いわゆるハイブランドも一生ふれることはない高嶺の花ではなくなった。
経済的に(不況かどうかは別として)豊かになった。
この現象を「食」に置き換えてみれば、ファスト・ファッションはお店のお総菜であり、ハイブランドは高級レストランになるだろう。
で、この場合、手作り服=洋裁は家庭でつくる料理にあたる。
今、洋裁をする人のベースは圧倒的に団塊世代がその多くを占めるから、その人々が高齢化していけば、マーケットとしての洋裁人口は減るだろう。
しかし、マズローの欲求階層説にあてはめれば、人間の高度な欲求は「必要」を超えた部分にシフトしていくから、たとえば。。。
そばが好きな人が「スーパーで売ってる安いそば」でお腹いっぱいになって満足していたものが、「銘店のそば」を食べに行き、そして取り寄せる。さらに、最後には「そば粉から自分で打ち」はじめ、「そばの栽培」まで行き着くこともある。
家庭菜園で育てる野菜は「食糧」確保のためではなく、「趣味・娯楽」活動の結果である。
つまり、これから洋裁は「衣食住の根源的欲求」を満たす必要から解き放たれて、「自己実現的欲求」を満たす創造的活動のひとつとして、増えていく。のではないだろうかと思う。
ただ、その洋裁を取り巻く環境は団塊世代をターゲットにしたまま、すこし特別で敷居が高いまま。である。最近は「いいな」と思うものが少しずつあるけど、まだまだ少ないし、なぜかハイソで気軽さがない。
だから僕は、家庭でつくる1皿の料理ように気軽に楽しく、世界に1着を自分でつくる人のための環境をつくりたい。
ウッシー牛島作・ミシンを置くためのテーブル。
2012年1月24日火曜日
【布旅】ヨーロッパツアー
パリ→マドリッド→バルセロナ→エクス・アン・プロヴァンス→リヨン→パリとぐるりの「布の旅」から無事帰還。
いつもなら3kgはウェイトを増やして帰ってくるところがハードな行程でそれは避けられた。
最初は何が書いてあるのかさっぱりだったメニューもさすがに今回は「選ぶこと」ができるようになったことも大きい(笑)
ただ、どんなにやばそうなカフェで注文しても「すべらないメニュー」がステーキである。
まさしく鉄板。(書く気はなかったが手が勝手にキーボードを押した)
よく、「草履のような...」という形容詞が使われるが、実はそんなことはない。
強いて言えば「強力なうま味がつまった」肉である。
逆に日本の霜降り肉の脂はたしかにとろけて脳天直撃のうまさだが、ここ10年はうまいと思ったことがない。
ほどよい堅さの肉をよくかむとうま味が出てくる。脂は少ないから胃にもたれることもない。
だから、ツアー中は日に1・2度はステーキを食べた。
かように肉食において西欧に「一日の長がある」ように布地において、彼の地の奥深さはすさまじい。畏れすら感じる。
まず布地の専門店に人が途切れなくやってくる。
セールをやっていることもあり、お安くはなっているが、要らないものはお安くなっていても要らないはず。
端布の山に体を突っ込んでいる人、高級なシルクを吟味する人。。。
布地が生活者に近い。いや布地が生活の一部になっている。
自分でつくれるものは自分でつくる。自分のセンスを信じている。
この感覚は今後日本でも確実に一つの潮流になると思う。
20世紀型の「ストックする文化」から21世紀は「フローする文化」へ。
大きな家に着れないほどの服を毎シーズン買ってため込むライフスタイルに憧れるひとは少なくなるだろうと思う。(僕も持ち物だけは身軽になった。身体については。。。だが)
ファスト・ファッションが「利便性」という大きな存在価値によって、人々の生活に定着する一方、「贅沢で・憧れる・憧れられる1着」はメゾンやハイ・ブランドの1着ではなく、【自分でつくった1着】になるのではないだろうか?
かあちゃんがつくったきんぴらレンコンにはどんな料亭の味も敵わぬように。
そんな僕の「予想」はこの旅を経て「確信」に変わった。
いつもなら3kgはウェイトを増やして帰ってくるところがハードな行程でそれは避けられた。
最初は何が書いてあるのかさっぱりだったメニューもさすがに今回は「選ぶこと」ができるようになったことも大きい(笑)
ただ、どんなにやばそうなカフェで注文しても「すべらないメニュー」がステーキである。
まさしく鉄板。(書く気はなかったが手が勝手にキーボードを押した)
よく、「草履のような...」という形容詞が使われるが、実はそんなことはない。
強いて言えば「強力なうま味がつまった」肉である。
逆に日本の霜降り肉の脂はたしかにとろけて脳天直撃のうまさだが、ここ10年はうまいと思ったことがない。
ほどよい堅さの肉をよくかむとうま味が出てくる。脂は少ないから胃にもたれることもない。
だから、ツアー中は日に1・2度はステーキを食べた。
かように肉食において西欧に「一日の長がある」ように布地において、彼の地の奥深さはすさまじい。畏れすら感じる。
まず布地の専門店に人が途切れなくやってくる。
セールをやっていることもあり、お安くはなっているが、要らないものはお安くなっていても要らないはず。
端布の山に体を突っ込んでいる人、高級なシルクを吟味する人。。。
布地が生活者に近い。いや布地が生活の一部になっている。
自分でつくれるものは自分でつくる。自分のセンスを信じている。
この感覚は今後日本でも確実に一つの潮流になると思う。
20世紀型の「ストックする文化」から21世紀は「フローする文化」へ。
大きな家に着れないほどの服を毎シーズン買ってため込むライフスタイルに憧れるひとは少なくなるだろうと思う。(僕も持ち物だけは身軽になった。身体については。。。だが)
ファスト・ファッションが「利便性」という大きな存在価値によって、人々の生活に定着する一方、「贅沢で・憧れる・憧れられる1着」はメゾンやハイ・ブランドの1着ではなく、【自分でつくった1着】になるのではないだろうか?
かあちゃんがつくったきんぴらレンコンにはどんな料亭の味も敵わぬように。
そんな僕の「予想」はこの旅を経て「確信」に変わった。
2011年12月30日金曜日
締めくくっていいやら
さすがに12月。
事務所の方は進展なく。
今のところの本業(?)マーケティングのお仕事も追い込みに打ち込む。
なんとか、納めるものだけは納めた。
年明けはヨーロッパツアーがまっているが、仕事をもっていくことになりそうだし。。。
締めくくっていいやらな年末。
いろいろあった1年。
特別な1年。
正月はゆっくり考え事でもするかぁ。
2011年12月1日木曜日
やるときゃ、やるけど。。。腰が。。。
本日の作業。
・ミーティングテーブル2台(ちょー重い)の組み立て設置
・iMac27inchの運搬/セットアップ
・照明器具21個設置
・エレクタのスチール棚8台の組み立て設置
やるときゃ、やるけど。。。
1人で1日でやる量ではなかった。
まだ、この棚に布が並ぶのは来年の話なのに。。。
一気にやりたがる。
プロ野球選手だったら、登録抹消の腰の痛さだ。
ちーと、ペースを考えんといかん。
2011年11月30日水曜日
登録:
投稿 (Atom)









